ゴールドラッシュ期の民間金貨 ANAが寄贈コレクションと歴史を紹介
アメリカ貨幣協会(ANA)は2025年10月21日、1848年1月の金の発見に始まるカリフォルニアのゴールドラッシュ期に民間の業者が造った金貨の歴史を紹介する記事を公開しました。硬貨不足を補うために生まれた金貨の信用の問題や、1854年のサンフランシスコ造幣局の開設で時代が終わるまでを、カールソン・チャンブリス博士が寄贈したコレクションとともにたどっています。
訂正(2026年10月13日) 題・要約・本文を出典に合わせて全面的に書き直しました。出典に無い業者名(フリードリック・ウォーフルなど)、数百社が操業したという推計、現存数千点・スミソニアン所蔵の記述、市場評価の上昇や価格の要因、真贋鑑定の助言を削り、出典が述べる業者・年・数値を出典どおりに示しました。旧題は「1848年カリフォルニアゴールドラッシュ:30万人移民が生んだ私造幣が物語る市場の信用構造」です。
この記事は、アメリカ貨幣協会(ANA)が2025年10月21日に「Tales From the Vault」の見出しで公開した記事(筆者ベン・スコット氏)にもとづきます。1848年1月の金の発見に始まるカリフォルニアのゴールドラッシュと、その時代に民間の業者が造った金貨の歴史を紹介する読み物で、新しい出来事の速報ではありません。
金の発見と人の流入
1848年1月、大工のジェームズ・W・マーシャルが、アメリカン川沿いにあるジョン・サッターの製材所の放水路で金を見つけました。サッターとマーシャルは発見を秘密にしようとしましたが、知らせはすぐに広まりました。数週間のうちに、製材所は押し寄せた人々の採掘でほとんど壊されてしまいました。
1848年12月5日、ジェームズ・ポーク大統領がカリフォルニアでの金の発見を発表しました。記事によれば、これが合衆国の歴史で最大の人の移動を招き、30万人を超える人々が西へ向かいました。見つかった金は、1849年に1,000万ドル、1850年に4,100万ドル、1851年に7,500万ドル、1852年に8,100万ドルでした。
金の純度や重さを調べる業者(アッセイヤー)も西へ向かいました。彼らは鉱夫が持ち込む金塊や砂金を、純度と重さがさまざまな延べ板(インゴット)に変え、その価値どおりに取引できるようにしました。
民間の金貨が生まれた理由
急な人口の増加で、カリフォルニアでは硬貨が足りなくなりました。合衆国憲法(第1条第10節)は、州や準州が貨幣を造ることを禁じていました。しかし、この禁止は個人や会社には及びませんでした。アッセイヤーたちは信用を高めるため、連邦の硬貨に似せた規格の金貨を造り、それが支払いの手段として広く受け入れられました。
ただし、ゴールドラッシュに結びつく最初の金貨は、カリフォルニアではなくフィラデルフィア造幣局で造られました。カリフォルニアの軍政長官が、掘り出された金230トロイオンス(7.30キログラム)を東部へ送りました。その多くはメキシコ戦争の英雄ザカリー・テイラーとウィンフィールド・スコットをたたえるメダルになり、残りが2ドル50セント金貨になりました。「CAL」の刻印があり、造られたのは1389枚だけで、いまアメリカの収集家に大切にされていると記事は述べています。
業者ごとの金貨と信用
カリフォルニアで最初に金貨を造ったのは、ノリス・グレッグ・アンド・ノリス社とされます。1849年5月、新聞『アルタ・カリフォルニア』が同社の5ドル金貨の製造を報じました。表面の銘文「CALIFORNIA GOLD WITHOUT ALLOY(混ぜ物のないカリフォルニアの金)」は、鉱夫に金そのものの価値を受け取れると示すものでした。掘り出したままの金で造ったため、銀を多く含んでいました。
サンフランシスコのマイナーズ・バンクも1849年に金貨を造りましたが、その10ドル貨は額面どおりに受け取られないことがあり、重さが足りないという評判も立ちました。金貨の価値は中の金の量だけで決まるため、軽い硬貨は不信を招きました。J・S・オームスビーやパシフィック・カンパニーのように、重さが大きく足りない5ドル貨・10ドル貨を造った業者は、すぐに信用を失いました。記事は、こうした業者の硬貨が今日では非常に珍しいと書いています。
ジョン・L・モファット社は1849年の夏から小さなインゴットを出し、同じ年のうちに5ドル貨と10ドル貨を出しました。これが大変な人気を集め、同社の5ドル貨はいまの市場で見かけるカリフォルニア金貨の中でも数が多いものの一つだと記事は述べています。
ボールドウィン社への告発
1850年から1851年にかけて、ボールドウィン社が5ドル、10ドル、20ドルの金貨を出し、モファット社に並ぶ存在になりました。しかし、銀行家のジェームズ・キング・オブ・ウィリアムが、同社の金貨は重さをごまかしていると告発しました。1851年4月5日、新聞『パシフィック・ニュース』は「THE GOLD COIN SWINDLE(金貨詐欺)」の見出しで、表示の重さと実際の金の量の間に5%の差があると報じました。
商人たちはボールドウィンの金貨を受け取らなくなり、20%引きで取引されることもありました。のちの分析では大きな不足は見つかりませんでしたが、疑いは残りました。最終的に同社の金貨の大部分は溶かされ、いまでは非常に珍しいと記事は述べています。
連邦の分析所と50ドルの「スラッグ」
軽い民間金貨への不信が強まり、議会はサンフランシスコに合衆国分析所(正式な造幣局の代わり)を置くことを認めました。政府はモファット社の技術と設備を使う契約を結び、所長のオーガスタス・ハンバートが八角形の50ドル金貨、いわゆる「スラッグ」を出しました。「UNITED STATES ASSAY OFFICE OF GOLD」の刻印があります。
ワス・モリター社は1852年から1855年にかけて金貨を造り、50ドル貨もまねて造りました。同社の5ドル、10ドル、20ドル、50ドル貨は、純度が0.900でそろっていたため人気を集めました。1855年の同社の50ドル貨は、当時カリフォルニアで流通した唯一の円形の50ドル貨です。
ケロッグ社と後の打ち直し
ケロッグ社は、カリフォルニアで最後のころの民間金貨を出した業者の一つです。ハンバートがモファット社を常設のサンフランシスコ造幣局に再編している間、同社は多い日には1日に6万〜8万ドル分もの20ドル貨を造りました。同社の円形の50ドル貨(自由の女神の頭像)は、当時のものが今日1ダースほどしか知られていませんが、金型は残っていました。1988年に沈没船セントラル・アメリカ号が引き揚げられ、500本を超えるインゴット(80ポンドを超えるもの1本を含む)が回収されました。回収されたケロッグ社の金と、元の自由の女神の金型の複製を使って、現代の打ち直し品(リストライク)が造られました。
寄贈されたコレクション
記事が紹介するコレクションは、カールソン・チャンブリス博士が寄贈したもので、ほぼすべての発行業者の金貨を含んでいます。サンフランシスコ造幣局が1854年に開き、1855年までに連邦の硬貨を出すようになると、カリフォルニアの民間金貨の時代は終わりました。
出典: American Numismatic Association「Tales From the Vault – Golden California: The Era of Private Coinage」(2025年10月21日)
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