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1204年以後のビザンツ後継国家とその貨幣 ニカイア・テッサロニキ・エピロス

CoinWeekは2026年1月22日、1204年に第4回十字軍がコンスタンティノープルを略奪した後に生まれたビザンツの後継国家と、その貨幣を紹介する記事を掲載しました。筆者はマイク・マーコウィッツ氏で、ニカイア帝国、テッサロニキ帝国、エピロス専制侯国の支配者と、彼らが発行した金貨・銀貨・銅貨を、記事の注に挙げられた落札例とともに取り上げています。

訂正(2026年10月13日) 題・要約・本文を出典に合わせて全面的に書き直しました。出典が扱っていないトレビゾンド帝国の貨幣の記述、出典に無い市場分析(年率6〜8%の値上がり、価格帯、投資対象としての魅力、今後の見通し)、金の純度85%などの真贋の判定基準、ニカイアとテッサロニキの交易・銀の組成の比較、途中で切れた段落を削り、出典が紹介する支配者と貨幣、注に挙げられた落札例を出典どおりに示しました。旧題は「亡命帝国の遺産:コンスタンティノープル陥落後にビザンツ後継国家が発行した貨幣」です。

※この記事は、2026年1月22日にCoinWeekが掲載した、マイク・マーコウィッツ氏の解説記事に基づきます。新しい発見の報道ではなく、13世紀のビザンツ帝国(東ローマ帝国)の後継国家と、その貨幣を紹介する記事です。

1204年の首都陥落と、亡命した貴族たちの国

1204年4月12日、第4回十字軍の軍勢がコンスタンティノープルを略奪しました。十字軍は「ラテン帝国」を建て、1261年まで市とその周辺の小さな地域を支配しました。

ビザンツの貴族たちは首都から逃れ、ニカイア帝国、エピロス専制侯国、テッサロニキ帝国など、いくつかの短命な国家を建てました。これらの国はいずれも貨幣を発行しており、その貨幣は混乱した時代の証拠として残っています。黒海南岸のトレビゾンド帝国については、別の記事で扱うとしています。

当時のビザンツの貨幣は複雑でした。お椀のように反った形の貨幣が3種類あり、さまざまな合金で作られました。約4.3グラムの金貨「ヒュペルピュロン」(16〜21カラット)、2グラム未満から3.5グラム超まで重さに幅があり、銅を多く混ぜることが多かった銀貨「アスプロン・トラキー」、そして重さが一定せず、おおむね2グラムほどの銅貨または青銅貨「トラキー」です。

ニカイア帝国の貨幣

ニカイア(現在のトルコの都市イズニク)は、城壁に囲まれた湖畔の都市で、コンスタンティノープルの南東92kmにあります。後継国家の中で最も重要な国の首都となり、のちにこの国がコンスタンティノープルを取り戻しました。

テオドロス1世

テオドロスは1175年ごろ、目立たない貴族の家に生まれました。母方で皇帝のコムネノス家と血縁がありました。1200年に皇帝アレクシオス3世アンゲロスの娘と結婚し、首都の陥落後はニカイアでビザンツの抵抗を組織して、1205年に皇帝を名乗りました。

貨幣の多くはマグネシア(現在のトルコのマニサ)で作られました。お椀形の銀貨トラキーは、表に玉座のキリスト、裏にテオドロスと同名の守護聖人の立ち姿を表しています。記事の注には、この銀貨の一例が2022年3月6日のNumismatik Naumann第114回オークション(ロット1110)で800ユーロ(見積もり800ユーロ)で落札されたと記されています。

ヨハネス3世

ヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェスは1192年ごろ、ブルガリアとの戦いで戦死した将軍の子として生まれました。1216年にテオドロス1世の娘と結婚し、1221年12月にテオドロスが亡くなると帝位に就きました。ラテン帝国の後ろ盾を得たラスカリス家の対抗者たちを退けています。

記事は、フィリップ・グリアソンの著書『Byzantine Coins』(1982年)の一節を引いています。それによると、ヨハネス3世は1236年にコンスタンティノープルをほぼ奪還しかけ、1246年にテッサロニキを征服して、ヨーロッパ側でのニカイアの力を固めました。

ヨハネスの金貨ヒュペルピュロン(金の純度は約16〜18カラット)について、記事は比較的よく見られるものだと述べています。注に挙げられた例は、2019年5月6日のNAC第114回オークション(ロット997)で325スイスフラン(見積もり200スイスフラン)です。

テオドロス2世

テオドロス2世ドゥーカス・ラスカリス(1221〜1258年)は、ヨハネス3世のただ一人の息子でした。14歳でブルガリアの王女と結婚し、のちの皇帝ヨハネス4世が生まれています。

テオドロス2世の金貨は、主に皇帝の名前の違いで父の金貨と見分けます。打ち方の悪い貨幣では名前の全部または一部が読めないこともあります。もう一つの特徴は、治世の年を示す数字として使われた、目立つギリシャ文字です。注の例は、2005年9月21日のCNG第70回オークション(ロット1135)で850ドル(見積もり500ドル)です。

テオドロス2世は1258年8月16日、36歳で亡くなりました。その王朝はまもなく、政敵ミカエル8世パレオロゴスによって倒されました。

ヨハネス4世

ヨハネス4世ドゥーカス・ラスカリスは1250年のクリスマスに生まれ、父の死により7歳で皇帝になりました。しかしミカエル・パレオロゴスが権力を握って共同皇帝となり、のちにヨハネスの目をつぶさせて帝位に就けないようにしました。ヨハネスは修道院に閉じ込められたまま、1305年に亡くなりました。

ヨハネス4世の短い治世の貨幣は非常に珍しいものです。1260年に作られた銀貨トラキーが、2019年1月8日のCNG Triton XXII(ロット1211)で1万ドルで落札されました。見積もりは2,000ドルでした。

ミカエル8世

ミカエルは1224年に生まれ、複数の皇帝家の血筋を引いていました。1253年、ニカイアの皇帝ヨハネス3世への謀反を疑われ、赤く焼けた鉄の棒を握る「神明裁判」を言い渡されました。ミカエルはそばにいた主教に、真実が明らかになると信じるなら祭壇から鉄を自分の手で取って渡すよう求め、罰を免れました。

ミカエルは幼い皇帝ヨハネス4世の摂政に対して宮廷クーデターを起こし、1259年1月1日に共同皇帝として戴冠しました。同じ年、ギリシャ北部のペラゴニアの戦いで、ラテン勢力と他のビザンツ勢力の連合軍を破っています。1261年には配下の将軍がコンスタンティノープルを奪い、ビザンツ帝国が復活しました。ミカエルが開いた王朝は、1453年にコンスタンティノープルがオスマン帝国に陥落するまで続きました。

テッサロニキ帝国の貨幣

テッサロニキは、コンスタンティノープルに次ぐビザンツ帝国第二の大きく豊かな都市でした。1204年、十字軍の将モンフェラートのボニファティウスに占領されました。ボニファティウスが1207年にブルガリア軍の待ち伏せで殺されると、王冠は幼い息子デメトリオスに渡りました。1224年、エピロスのテオドロスがテッサロニキを奪って自分の帝国に加え、別の貨幣を発行し続けました。

テオドロス

テオドロスはテッサロニキで銀貨トラキーを発行しました。皇帝の衣装を着た自身の立ち姿と、市の守護聖人である聖デメトリオスが並んでいます。注の例は、2019年9月29日のRoma Numismatics第18回オークション(ロット1317)で4,200ポンド(見積もり2,500ポンド)です。

1230年、テオドロスはコンスタンティノープルを攻めようとしましたが、軍をブルガリアとの戦いに向けました。ブルガリア軍はテオドロスを捕らえ、目をつぶし、7年間とらえておきました。弟のマヌエルが位を継ぎ、大きく縮んだ領土をブルガリアの臣下として治めました。

マヌエル

マヌエルの珍しい銀貨トラキーは、表に玉座の聖母、裏に皇帝と聖デメトリオスの立ち姿を表しています。注の例は、2010年10月8日のNAC第56回オークション(ロット825)で8,500スイスフラン(見積もり9,000スイスフラン)です。1237年、捕らわれの身から解放されたテオドロスはマヌエルを退け、息子のヨハネス・コムネノス・ドゥーカスをテッサロニキの支配者に据えました。

ヨハネス・コムネノス・ドゥーカス

ヨハネスは1237年から、1244年に亡くなるまで、縮小した帝国を治めました。その貨幣は主に粗い作りの青銅貨または銅貨で、表に聖デメトリオス、裏に皇帝と聖母の立ち姿を表しています。注の例は、2022年12月3日のLeu Numismatik Web Auction 24(ロット760)で900スイスフラン(見積もり75スイスフラン)です。

エピロス専制侯国の貨幣

エピロスはギリシャ北西部の地方で、現在のアルバニア南部にまで広がります。ラテン帝国の成立後、古い都市アルタを首都とする長く続いた後継国家になりました。中世ギリシャ語の「専制公(デスポテス)」は単に「唯一の支配者」という意味で、現代の「独裁」の意味はありませんでした。

ミカエル1世

ミカエル・コムネノス・ドゥーカスは1170年ごろに生まれ、皇帝アレクシオス・コムネノス(在位1081〜1118年)の子孫でした。ほかのビザンツ貴族と同じく、一時はトルコ系のルーム・セルジューク朝に傭兵として仕えました。1205年までにエピロスの支配を固め、1214年か1215年に、眠っているところを召使いに暗殺されました。動機は分かっていません。後を継いだのは異母弟のテオドロス・コムネノス・ドゥーカスです。ミカエルの貨幣は少ないとされています。

ミカエル2世

ミカエル2世はミカエル1世の庶子でした。父が殺された後に国外へ逃れ、1230年に戻って位に就き、1268年ごろに亡くなるまで治めました。珍しい銀貨トラキーは、表に玉座のキリスト、裏に皇帝と聖コンスタンティヌス(4世紀のローマ皇帝で、のちに正教会が聖人とした人物)の立ち姿を表しています。注の例は、2019年11月17日のNomos第18回オークション(ロット453)で1万1,000スイスフラン(見積もり2,500スイスフラン)です。

出典: CoinWeek「Empires in Exile: Coins of the Byzantine Successor States」(2026年1月22日)

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